元来日本には「外力に歯向かう」発想がなかった。では、古の剣豪たちがとった方法とは?「相手に対する気遣い」こそが日本武道!?、身体を鋭敏に「脳化」させれば、達人技が可能に!?、日本古来の防波堤は「対抗」しないものだった!?、「不動心」は弱い心が作り出す!?、剣豪たちが到達した境地「水月移写」とは!?、今、必要なものは武道かもしれないと思わせる、究極の身体論にして人生論です!CONTENTS●第一章 「住なす」という日本の伝統武道手応えがない、衝突しない、空気のような初見宗家「技」ではないのです世界は「武道的考え方」を学んでいる「相手の力とのバランス」は机上の空論「往なす」という日本的バランスとは世界が学ぼうとしている日本伝統武道は、私達ですら学ぶのは難しいだからこそ「伝統武道」を学ばなければならない日本文化の中に「調和」の鍵がある学ぶべき日本伝統文化としての武道はあるのか?世界で展開されている「日本の伝統文化としての武道」武神館武道・大東流合気柔術六方会オイゲン・ヘリゲルに伝統武道を見た●第二章 外国が学ぼうとしている日本伝統武道とは「水月移写」という身体状態(境地)柳生但馬守宗矩に見る「水月移写」伊藤一刀斎に見る「往なす」精神レベルの低い人間には「武道」を理解することが出来ない相手に対する気遣いこそが「日本の文化」であり、武道だ親和体道故井上鑑昭道主の言葉無住心剣・針谷夕雲から受け継がれた「往なす」──「相抜け」の道伝統武道は心身二元論では学べない●第三章 「武」の名人の考え方とは対立しない日本文化基礎は緩める日本的工法日本の伝統文化としての武術のエッセンスは?「力とは直接対立しない」「受け入れる」という超自然観アメリカがやっと辿り着いた発想は日本文化そのものだ受け入れる、から往なすへ「受け入れる」は名人の技法の最大のヒントだ「斬らせなくちゃ駄目です」──初見宗家の「不動心」『不動心』は「弱い心」が作り出す『不動心』とは「全く雑念のない意識状態」だスポーツや競技は根本的に武術とは違うスポーツは現代的非合理の象徴だ●第四章 武術から肉体運動、そして「身体」そして武道へとつながった「武道」は知的運動=武術と武道の違い非日常的な運動=武術的な運動の探求トレーニング方法は目的が決定する武術的トレーニングはあるのか?「三戦」が教えてくれたもの筋肉は運動線により緊張し、その緩みが原動力にもなるねじれと軸の関係の発見から自分自身への気付きへ「軸」は中国拳法にも使われていた 中国拳法の達人・蘇東成師が語る「螺旋法」バレエと武術の共通項イメージをコントロールできたとき、肉体は進化するイメージを汲み取れ、それが「見抜く」だデュオ「相手と一体になる(意識の同調)」それこそが武術だ…他