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英国ギター界の名物作曲家による多彩な音楽ジョン・W・デュアルテ:作品集ベルフォート・ギター・デュオベルフォート室内管弦楽団ジャン・ルイージ・ザンピエーリ(指揮)科学技術者として働きながら音楽活動もおこない、54歳から専業音楽家として世界的に活躍したデュアルテの音楽から協奏的な作品を集めたアルバム。  イギリス的な雰囲気も豊かな「チューダー朝の幻想」から、タイトル通り楽しい「陽気な協奏曲」まで、変化に富むスタイルの音楽を楽しむことができます。  演奏はイタリア人ギタリスト2人と、イタリア人指揮者、イギリスの室内オーケストラによるものです。▶ Brilliant Classics 検索 作曲家情報 (簡易年表&作品表)◆ 1919年、シェフィールドで誕生10月2日、ジョン・ウィリアム・デュアルテ(デュワルテ、ドゥアルテとも)は、イギリス中部のシェフィールドで誕生。同年、ロンドン・スコティッシュ連隊将校の父親が死去したため、翌1920年4月、生後6か月で、マンチェスターにある母の実家に転居(マンチェスターはシェフィールドの西北西約50kmに位置)。◆ 1934年、ギターに転向デュアルテが最初に手にした楽器はピアノとウクレレで、ギターを手に入れたのは1934年のことでした。デュアルテはさっそくマンチェスター在住のクラシック&ジャズ・ギタリスト、テレンス・アッシャー[1909-1969]から指導を受けることになり、1935年1月から18ヶ月に渡って10回のレッスンを受け、ギター演奏のほか記譜法なども身に付けます。  やがて、さまざまな楽器奏者との接触が増え、実際の演奏の場にも数多く参加するようになると、必要に迫られてダブルベースとトランペットの演奏法も習得。1930年代後半には、ダブルベース奏者として、ジャンゴ・ラインハルト[1910-1953]やコールマン・ホーキンス[1904-1969]と共演してもいます。◆ 1936年、マンチェスター工科大学マンチェスター・セントラル高校を1936年に卒業したデュアルテは、マンチェスター工科大学(現UMIST)に進み、繊維科学を専攻して1940年に優等学位を取て卒業。  【ギター二重奏】  1937年 「スライディン・アバウト」 WoO.11  1938年 「ルンバ・スタディ」 WoO.13◆ 1940年、軍需工場主任科学技術者前年に第2次大戦が始まっていたため、デュアルテは卒業後すぐに軍需工場の主任科学技術者として働き、1943年には妻となったドロシー・セドンと出会ってもいます。  【ギター独奏】  1941年 「シャンソン」 Op.1-1  1945年 「パストラーレ」 Op.2-1  1945年 「前奏曲 ハ長調」 Op.3◆ 1946年、マンチェスター・ギター・サークル設立戦争が終わった翌年の1946年、デュアルテは恩師テリー・アッシャーと共に「マンチェスター・ギター・サークル」を設立(現在も存在)。クラシック・ギターに関する活動を組織的におこなうようになり、天才少年ジュリアン・ブリーム[1933-2020]や巨匠アンドレス・セゴビア[1893-1987]、レン・ウィリアムズ[1910-1987]とも交流が始まっています。レン・ウィリアムズはジョン・ウィリアムズ[1941- ]の父で、デュアルテはレンの依頼でジョンの指導を引き受けてもいました。  1951年に第1子アイヴァーが誕生。デュアルテ家は1953年の途中までマンチェスターに居住。  【ギター独奏】  1947年 「ソナタ ニ長調〜ラルゲット」 Op.4  1947年 「パストラーレ」 WoO.7  1947年 「グラウンド・バスの瞑想曲(バッソ・オスティナートの瞑想曲)」 Op.5  1947年 「6月に」 WoO.8  1948年 「ミニアチュア組曲」 Op.6  1949年 「マヌエル・M・ポンセの墓碑銘」 Op.7  1949年 「3つのモダン・ミニアチュア」 Op.9  1949年 「ラス・フォリアスによるシンプル・ヴァリエーションズ」 Op.10  1950年 「前奏曲 ニ短調」 Op.12  1950年 「前奏曲 イ短調」 Op.13Powered by HMV
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