ドゥセク:ソナタ全集シリーズの最終巻ドゥセク:ソナタ集 「悲愴」、「狩り」、他ペトラ・ショムライ(フォルテピアノ)全集のCD9と同じ音源。ブックレット(英語)にはバルト・ファン・オールトによるエッセイ「ドゥセク時代のイギリスのピアノ」と、楽曲解説「音楽について」が掲載されています。フォルテピアノの2つの流派ここではソナタ集 Op.35(ベートーヴェンに影響を与えているようです)がイギリス式の迫力あるロングマン・クレメンティ(上の画像)、ソナタ「狩り」がウィーン式の軽快なアントン・ワルター・ウント・ゾーン(下の画像)で演奏されています。 初期のピアノであるフォルテピアノは、まだ個体差の大きな楽器で、町によって、また製作工房によって、さらには同じ製作者でも時期によって形状や機能が異なっていました。 近隣地域内では、職人たちは互いに影響を及ぼし合っていたものの、ロンドンとウィーンのように遠く離れた都市の間では影響が及ばなかったことや、都市の人口や経済、演奏会場の規模の違いもあり、結果的に「イギリス式」と「ウィーン式」という2つの異なる流派が生まれることになります。大きな会場が多かったロンドンではより大きく長続きするカンタービレ向きの音が求められ、ダンパーペダルの搭載や、長めの減衰音、深いタッチといった特色が備わるようになり、小さめの会場が多かったウィーンでは軽快な音が効果的なことから、ダンパーも膝レバー式の軽微なもので、減衰音も短く、浅いタッチで十分という違いがありました。ハイドンも絶賛したドゥセクヨハン・ラディスラウス・ドゥセクは、1760年にオーストリア大公国ボヘミアのチャスラウに生まれ、1812年にフランスのサン=ジェルマン=アン=レーで亡くなった半世紀後のフランツ・リストを予見するような国際派の作曲家ピアニスト。自作による演奏会収入と上流階級からの支援により主に生計を立て、ドイツ、イギリス、フランスを拠点に、ロシア、イタリア、オランダなども廻っています。ちなみに名は「Dussek(ドゥセク)」で一貫していました。プロイセン王子ルイ・フェルディナントとの親交ドゥセクは1800年から1806年までの6年間、フリードリヒ大王の甥でもあるルイ・フェルディナント[1772-1806]に仕えています。ルイ・フェルディナントは、自身が作曲や演奏にも秀でていたことでドゥセクを重用。軍の駐屯地にまで連れて行ったほか、宴席では2人でピアノの即興で音楽によって対話するといった余興にも興じており、その関係は非常に親しいものであったことが窺われます。▶ Brilliant Classicsのフォルテピアノ録音を検索 演奏者情報◆ ペトラ・ショムライ(フォルテピアノ)1981年、ハンガリーに誕生。ベーラ・バルトーク音楽院で指揮とピアノ演奏を学び、2007年にフランツ・リスト音楽院でピアノの学位を取得。その後、フォルテピアノとチェンバロを、デヴィッド・ウォード(王立音楽大学)や、メンノ・ファン・デルフト(アムステルダムのスウェーリンク音楽院)、ファビオ・ボニッツォーニ、バルト・ファン・オールト(ハーグ王立音楽院)に師事。2010年、ブルージュ国際フォルテピアノコンクールで第1位と聴衆賞を受賞し、以後、ソリスト、室内楽奏者として、ヨーロッパ、アメリカ、アジアなどで活動。現在はハーグ王立音楽院でフォルテピアノの教授を務めてもいます。 CDは、Brilliant Classics、Centaur Recordsなどから発売。 トラックリスト (収録作品と演奏者)ヨハン・ラディスラウス・ドゥセク [1760-1812]◆ ソナタ 変ロ長調 Op.35-1 Craw 1491. アレグロ・モデラート・エ・マエストーソ 15:102. フィナーレ.アレグロ・ノン・トロッポ・マ・コン・スピーリト 8:20◆ ソナタ ト長調 Op.35-2 Craw 1503. アレグロ 10:564. ロンド:モルト・Powered by HMV