ロマン派室内楽の新たなレパートリードーラ・ペヤチェヴィチ:室内楽曲集トリオ・ロヴェルデ約29分のチェロ・ソナタと、約35分のピアノ三重奏曲、およびヴァイオリンとピアノのための小品を5曲収録。すべてロマン派的な聴きやすい作品で、旋律の魅力にも富んでいます。演奏はラフマニノフの「悲しみの三重奏曲第2番」でも高水準な演奏を聴かせていたトリオ・ロヴェルデ。ドーラ・ペヤチェヴィチ1885年、オーストリア=ハンガリー帝国のブダペストに誕生。本名はマリア・テオドーラ・ペヤチェヴィチ。父はハンガリー系クロアチア伯爵、母はハンガリー男爵の娘なので、オーストリア=ハンガリー帝国クロアチア貴族の一員ということになります。 ドーラの音楽的才能は、ピアニスト兼歌手だった母親によって幼い頃から認められて育まれ、1903年に一家でザグレブに転居した際には、クロアチア音楽学校の教授のもとで音楽を学んでいます。その頃の彼女の作風は、メンデルスゾーン、シューマン、グリーグなどロマン派の作曲家の影響を受けたものでした。 その後、彼女はドレスデンとミュンヘンで学び、楽器演奏、作曲、ヴァイオリンのレッスンを受けています。 ペヤチェヴィチはやがてフランス印象派の影響を受けながらも、ロマン派の伝統に根ざした作曲をおこなうようになり、独自の個性を確立して行きますが、1923年1月にミュンヘンで息子のテオを出産した際に合併症を患い、2か月後に腎不全により37歳で亡くなっています。▶ Brilliant Classics 検索 演奏者情報◆ エカテリーナ・リトヴィンツェヴァ(ピアノ)1986年、カムチャツカに近い港湾都市マガダンに誕生。1990年、4歳の時にピアノの勉強を開始。1994年、マガダン(北緯59度33分)の北東約1500kmでほぼ北極圏に位置し、オーロラがさらに美しいいチュクチ自治管区の都市アナディリ(北緯64度44分)に転居し、同地の音楽学校で勉強。ロシア最北東端都市の厳しくも豊かな自然の中で過ごしたのち、2001年、15歳のときに一家はモスクワに転居。2002年、モスクワ国立ショパン音楽学校に入学し、イリーナ・ガブリエロヴァに師事。卒業後、2006年にマイモニデス・クラシック・ピアノ・アカデミーに入学し、ヴィクトール・デレヴィアンコ、アレクサンダー・ムンドヤンツ、エカテリーナ・デルジャヴィーナらに師事、卒業後、2011年にドイツに移住し、ケルン音楽舞踊大学で学び、2013年に修士号を取得して卒業後、ヴュルツブルク音楽大学でも学んでいます。 以後、ベルリンのコンツェルトハウス、シュトゥットガルトのリーダーハレ、ボンのベートーヴェンハレ、ニュルンベルクにあるマイスタージンガーハレ、ハノーファーのNDRフンクハウス、ハンブルクのムジークハレといったドイツの有名な会場などで演奏。◆ カロリーヌ・シプニエフスキ(チェロ)トゥールーズ出身の若手チェリスト。パリ国立高等音楽・舞踊学校(パリ音楽院)でチェロとピアノを学んだのち、ルイ・ヴィトン財団のゴーティエ・カプソンのクラス・ド・エクセレンスに選ばれ、さらにザルツブルグ・モーツァルテウムのクレメンス・ハーゲンのクラスに参加。以後、数多くの音楽祭にソリストとして出演。また、ヴィクトリア・ホール、パリ・フィルハーモニー、シャンゼリゼ劇場、オペラ・ガルニエ、プロヴァンス大劇場、バーデン・バーデン・クアハウス、エルマウ城、サル・コルトーなど、ヨーロッパの一流コンサートホールに出演。◆ ルシーネ・ハルチュニアン(ヴァイオリン)幼少の頃から優れた音楽的才能を発揮。地元エレヴァンの芸術学校でヴァイオリンなどさまざまな楽器の演奏を学んだ後、エレバン国立音楽院でガギク・スンバティアンに師事。ローザンヌ音楽院ではパヴェル・ヴェルニコフに師事。ジュネーヴ高等音楽院のソリスト養成コースでは最高得点を獲得。 その後、ワルシャワのタデウシュ・ヴロンスキ・コンクール、マルタ国際音楽コンクール、エレPowered by HMV