美しい叙情とゆたかなロマンあの『楽園とペリ』に匹敵する感動がここに!コンセルトヘボウ名誉客演指揮者アーノンクールこだわりのシューマン『ゲーテの《ファウスト》からの情景』1975年にバッハのヨハネ受難曲、マタイ受難曲でコンセルトヘボウ管弦楽団にデビューして以来、実演や数多くのレコーディングで楽団との結びつきを強めながら、現在に至るRCO名誉客演指揮者ニコラウス・アーノンクール。 RCOLive最新アルバムは、2005年のバイエルン放送響とのライヴ録音盤『楽園とペリ』を経て行なわれた2008年4月のライヴ録音で、その『楽園とペリ』とならびアーノンクールがシューマンによる声楽曲の双璧と位置付ける『ゲーテの『ファウスト』からの情景』です。 『ゲーテの《ファウスト》からの情景』は、もともと文学への造詣が深かったシューマンが、ドイツ文学の最高峰のひとつ、ゲーテの戯曲『ファウスト』の音楽化を決意したのが始まりで、当初オペラ化を考えていたものの原作の持つ桁外れのボリュームの前にこれを断念、最終的にはオラトリオ的な性格の内容として、完成までに9年もの歳月を費やした労作。アーノンクールはこの作品についてつぎのように考察しています。 「シューマンは『ファウスト』の、ある特定の側面、すなわち‘浄化(贖罪もしくは讃美)’に焦点を合わせたがっており、その狙いに基づいて決めた情景を原作から選びました。しかも彼は自分が準備したテクストの一語も変えませんでした。それぞれはゲーテ自身のものです。(中略)シューマンはあきらかにペシミストでした。心理学的なアプローチの見地から、かれはフロイトの一種の仲間です。『ファウストの情景』という作品をこれほどまでにとてつもないものにしているうちの1つが、贖罪というひとつの側面を例示するかくも巨大なドラマからそうした場面を正確に選び抜くシューマンの手腕です。」 と、当作品に最大級の賛辞を惜しまないアーノンクールが‘音楽史で最も美しい瞬間のうちの1つ’と述べる第2部冒頭の「日の出の場面」。シューマンの管弦楽法のもっとも輝かしいパッセージがみられるこのくだりには、弦楽器群を分奏させる指示がありますが、アーノンクールはコンセルトヘボウ管弦楽団にヴァイオリン両翼配置で演奏させているため、ここでも分奏が立体的な音響効果につながっているのが印象的です。 多くのソリストと混声合唱、児童合唱を要することからも、本作における声楽パートの重要性は『楽園とペリ』に共通するところも多く、先に触れた『楽園とペリ』のライヴ録音にも参加していたゲルハーヘルとギューラをはじめ、ここでもアーノンクールのプロダクションではおなじみの顔触れが揃えられ、上演に安定感をもたらしています。 ちなみに、本録音に先立って、2006年にグラーツでアーノンクールがヨーロッパ室内管と同曲を演奏した際にも、ゲルハーヘル、マイルズ、エルドマン、フォン・マグヌス、レンメルトらがキャスティングされていました。 「シューマンのことを考えるとき、わたしはドレスデンのカフェに彼が居るところを思い浮かべます。そこでワーグナーとメンデルスゾーンに毎週会っているのです。かれらはだいたい同じくらいの年齢だったし、3人みなザクセンの生まれでした。ワーグナーの名声にとって幸いだったのは、ほかの2人が若くして亡くなってしまったということでしょう。つまり、ワーグナーと同時に、シューマンとメンデルスゾーンがもっと長生きをしていたら、音楽史はまったく違うものになっていたということです。わたしはシューマンを3人の中でもっとも偉大な天才と考えます。」 こう語るアーノンクールのシューマンに対する傾倒ぶりは誰しも認めるところで、その成果としてこれまでに交響曲全曲や主要な管弦楽曲、協奏曲のほかに、『ゲノフェーファ』や『楽園とペリ』などが発表され、いずれもすでに高い評価を得ているのは周知のとおり。こうした流れを受けて、2009年12月6日には80歳の誕生日を迎える巨匠アーノンクールが、いまあらためて世に問うシューマンの『ゲーテの《ファウスト》からの情景』は、未だに正当な評価を得ているとは云いがたい作品の真価を明らかにするばかりでなく、ながらく記憶され続ける圧倒的な内容といって差し支えのないものです。(キングインターナショナル)・シューマン:『ゲーテの《ファウスト》からの情景』 WoO3 [118:30] クリスティアン・ゲルハーヘル(Br:ファウスト、天使に似た教父、マリア崇拝の博士) クリスティアーネ・イヴェン(S:グレートヒェン、困窮、贖罪の女性、贖罪の女性のひとり) アラステア・マイルズ(Bs:メフィストーフェレス、悪霊) ヴェルナー・ギューラ(T:アリエル、法悦の教父、成熟した天使) モイカ・エルトマン(S:マルテ、憂愁、天使、昇天した少年、Powered by HMV