複弦5コースのバロック・ギターがシャープに豊かに鳴り響く優秀録音盤デ・ムルシア: ギター音楽ミゲル・アレハンドロ・ヌニェス・デルガド (バロック・ギター)スペイン女王マリア・ルイサと駐スイス特使のアンドリアーニに仕えたスペイン・バロックの作曲家、サンティアゴ・デ・ムルシアのギター作品集。楽譜発見のゆかりの地でもあるメキシコ出身のギタリスト、デルガドが見事なテクニックで複弦5コースのバロック・ギターを操り、フォリアの哀愁からタランテラのかき鳴らしまで、気持ちの良い音で収録されています。▶ Brilliant Classics 検索 作曲者と作品情報サンティアゴ・デ・ムルシア[1673-1739]は、バロック後期スペインの作曲家でギタリスト。現在わかっていることは少ないので、以下にまとめておきます。● 現在知られているギター曲集は以下の2冊のみ。他に伴奏法についての曲集「ギターによる上声部伴奏法綱領」があります。「全ての調によるギターのためのパッサカリアと作品集」[1732年]「サルディヴァル写本」[1732年頃]● 上記の曲集には、宮廷舞曲だけでなく劇場舞曲も収録されていることから、サンティアゴ・デ・ムルシアは劇場でも演奏していたと考えられており、そこにはフランスやイタリアの影響も反映されています。● 曲集がメキシコで発見されたのは、女王亡き後のサンティアゴ・デ・ムルシアの雇用主であったアンドリアーニが、メキシコやチリと交易していたことや、楽譜の被献呈者であるホセ・アルバレス・デ・サーベドラが晩年をメキシコで過ごしてたことが関わっていると考えられています。時系列だとこんな感じです。◆ 1673年7月25日、マドリードで誕生。母はマグダレナ・エルナンデス。父のフアン・デ・ムルシアは王室のギター奏者やヴァイオリン奏者を生み出してきた家系の音楽家。◆ 王室礼拝堂で父のフアン・デ・ムルシアなどに音楽を師事。◆ 1693年、マドリード王室礼拝堂聖歌隊のギタリスト、作曲家、カントルのフランシスコ・ゲラウ[1649-1722]に学んだほか、作曲家でバス・ヴィオール奏者のアントニオ・デ・リテレスにも師事。◆ 1695年5月、ホセファ・ガルシアと結婚。◆ 1704年頃、スペイン女王マリア・ルイサ・ディ・サヴォイア[1688-1714]のギター教師として雇用。叔父のアントニオ・デ・ムルシアも楽器製作者として雇用 (1709年に死去)。マリア・ルイサは1701年11月2日、13歳でスペイン国王フェリペ5世[1683-1746]と結婚。◆ 1714年2月14日、スペイン女王マリア・ルイサ、25歳で死去。◆ 1714年、王室を去り、スペイン領ネーデルラントとフランスを旅行。◆ 1714年、スペイン領ネーデルラントのアントワープで「ギターによる上声部伴奏法綱領」を出版。アントワープは16〜18世紀にかけてスペイン語出版物の重要な拠点でした。◆ 1714年、スイスのカトリック地域に派遣されていたサンティアゴ騎士団の騎士で特使のハコメ・フランシスコ・アンドリアーニが自邸で雇用。「ギターによる上声部伴奏法綱領」を献呈。◆ 1732年、「全ての調によるギターのためのパッサカリアと作品集」を上梓。ホセ・アルバレス・デ・サーベドラに献呈。◆ 1732年頃、「サルディヴァル写本」を上梓。◆ 1739年4月25日、マドリードで死去。 演奏者情報ミゲル・アレハンドロ・ヌニェス・デルガド (バロック・ギター)1988年、メキシコのプエブラで誕生。プエブラは標高2,200メートル近い高地にある大都市。12歳でプエブラ音楽院に入学し、最優秀の成績で卒業。 2009年から2011年にかけて、ハビエル・ヒノホサに師事して初期バロック楽器の演奏を開始。その間、2010年にはイタリアのシエナのキジアーナ音楽アカデミーで学び始め、2016年には、バルセロナのカタルーニャ高等音楽院でバロック・ギターの学位を取得。2020年にはメキシコのベラクルス大学で音楽解釈の修士課程を修了。 デルガドは、「アンティカ・インコントロ・アンサンブル」の創設メンバーのひとりでもあります。このアンサンブルは、ラテン・アメリカのルーツに広がる伝統的な西洋音楽の普及と共有を主な目的としており、Powered by HMV